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大日本帝国戦争史・大東亜戦争年表 |
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植民地化を免れた日本 |
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2016・12・14 産経ニュース 【産経抄】 植民地化の危機が迫っていた 12月14日 |
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「記事内容」 幕末の日本は、ヨーロッパの列強による植民地化の危機にさらされていた。 その最たる例が、文久元(1861)年に起きた、「対馬事件」である。 ▼ロシアの軍艦ポサドニック号が対馬に居座り、軍事基地の建設を始めた。 抵抗した島民ら2人が犠牲となる。 もっとも英国の抗議を受けて、やがて軍艦は島から去っていった。 英露の力のバランスを利用して、解決に導いたのは誰なのか。 ▼ 「これがいはゆる彼に由(よ)りて彼を制するといふものだ」。 勝海舟が『氷川清話』のなかで、自分の外交成果の一つに挙げていた。 比較文化が専門の上垣外(かみがいと)憲一さんは、海舟の「ほら話」ではなく、事実に近いとみている(『勝海舟と幕末外交』中公新書)。 ▼対馬の対岸に位置する山口県長門市は、安倍晋三首相の地元でもある。 明日、ロシアのプーチン大統領を迎えて、北方領土問題を協議する。ロシア軍艦が対馬を「占領」したのは、半年間にすぎなかった。 それに対して、旧ソ連、ロシアによる4島の不法占拠は71年間にも及ぶ。 交渉がどれほど困難を極めてきたのか。 小紙の連載「屈辱の交渉史」を読んで改めて納得した。 ▼4島では、ロシア人の定住化と軍事拠点化が進んでいる。 ロシア側が日本の経済協力をいくら熱望していても、「食い逃げ」の懸念をぬぐいきれない。 何より高いハードルは、領土問題で一切の妥協を許さない、ロシア外務省や軍の強硬派の存在である。 ▼上垣外さんによると海舟は、領土拡張を求めてやまないロシアにも、「日本との友好親善が大切だと思う優れた人物もまた存在することを知っていた」。 今のロシアにも、当てはまるのか。 最近の現地からの報道から判断する限り、残念ながら、悲観的にならざるを得ない。 |
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国内最後の戦い・西南戦争 |
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2018・3・19 (1/5ページ) 【正論】 日本人必読記事! 産経ニュース この荒野で君はまだ戦えるか 日本大学教授・先崎彰容 |
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「記事抜粋」 西南戦争のいぶきを感じ取る 昨年8月25日のことである。 筆者は午後の熊本空港に降りたった。 これから1週間ほどの間、西南戦争の舞台となった九州各地を訪れ、国内最後の内戦の伊吹を感じ取ろうと思ったからである。 春先から書き始めた 『未完の西郷隆盛』(2017年12月、新潮選書刊)の原稿は、終わりに近づいていた。 書き進めるために文献に目を通していると、驚くべき事実にしばしばぶつかった。 例えば西南戦争当時、福澤諭吉はひそかに西郷を支持する論文『丁丑公論』を認(したた)めている。 武士の「抵抗の精神」を保持した西郷は、日本の近代化を無事達成するための精神の高貴さを教えてくれる。 だから今回の戦争にも一定の評価をすべきだというのが、福澤の西郷擁護論だった。 つづく 歌碑が告げる近代日本の水脈 すさんだ精神風景が残された 中略 そう思う江藤にとって、西郷に比類される人物こそ、蓮田であり三島であった。 では彼らが不在の現在、いったいこの国はどんな風景になっているだろうか。 荒涼とした精神風景があるだけではないのか。 この荒野で私たちは、何をなすことができるだろう。 ここまで思考を進めてきた私は、これで原稿が書けると確信した。 『南洲残影』は、ぜひとも最終章で論じることにしよう。 「維新150年」と言うからには、日本人の精神史をまるごと描かねばならないのだ-夜、ホテルの部屋で筆を走らせながら、心は激しく明治10年を駆けめぐりつづけた。 ※日本国は今、維新前夜のごとし! |
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識字率の高い日本を変えた本 |
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2016・11・26 ユーチューブ 中国では誰も注目しなかった一冊の本?日本人はこれを読み欧米列強に対等する国になった!日中両国の歴史の明暗を分けるポイントになった本の影響力・・【海外の反応】 |
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「コメント」 中国メディアの今日頭条で、「中国で出された1冊の本、国内で読む人はいなかったが、日本はこの本で強く変身した」とする記事を掲載しました。 「海国図志」は、江戸末期、明治の時代において、素早く応じた有名、無名の校正者たち。 その活動は世界情勢を渇望する為政者や学者、一般民衆ら多くの日本人の魂を揺さぶる本となったのです・・・ ※諸外国人と日本人の大きな違いが明らかにされている。 |
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日清戦争・アメリカ人はこの時代でも嘘吐きだった! | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2016・10・4 ユーチューブ ベルギーと日本の恩恵返済リレーに韓国の反応は? |
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「コメント」 Sakura TVです。 日本の真実を伝えるため活動しています。 テレビではあまり報道されないニュースをお届けします。 ※シナ人の残忍さが語れているが、アメリカ人が捏道報告、昔からアメリカ人は嘘吐きである。 その嘘つきアメリカ人に従順に従っているのが嘘つき安倍総理である。 |
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2015・2・28 ユーチューブ 世界で初めて人種平等の原則を提案した日本は全米の黒人にとって希望の光だった |
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「コメント」 世界で初めて、国際連盟で「人種平等の原則」を提案した日本。 その提案に沸いたのが、全米に1000万人以上いる黒人たちだった。 彼らは、国際連盟の議長が自国の大統領ウィルソンであるにも拘わらず、日本の使節団に嘆願書を提出し、この提案を是非実現して欲しいと願ったのだ。 |
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小さな身体の勇猛果敢な大日本帝国皇軍・軍人「柴五郎中佐」 |
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2016・12・31 ユーチューブ 日本人必見動画 海外 感動 日本が見せた「勇敢と信頼感」記録をみても非難や批判されないのは、唯一日本人だけだった…その理由とは?100年前の日本人の素養の素晴らしさに世界中が絶賛!【海外が感動する日本の力】 |
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「コメント」 100年前、日本人の鑑といわれたひとりの男性がいます。 欧米列強から賞賛の的となったこの男性の名は、「柴五郎」中佐。 彼の強く・優しく・規律正しさは『栄光の孤立』貫いた大英帝国イギリスをも感嘆させたのです…。 ヨーロッパで有名になった日本人、内容は動画をご覧ください。 |
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映画「猿の惑星」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
パリ講和会議の大日本帝国の人種差別撤廃発言がイギリス始め欧米列強の怒りをかったと思われる。 イギリスのチャーチルは当時、日本人を黄色い猿と蔑んでおり、人種差別の酷い人物である。 この白人による人種差別が後にハリウッド映画「猿の惑星」を生むのである。 |
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大東亜戦争の扉 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大日本帝国はロシア帝国の軍事的脅威に曝されていた頃、朝鮮半島に関わり、満州国に関わった結果、満州国国境において蒋介石が繰り出す日本人虐殺による挑発、上海租界地での日本人無差別攻撃による挑発に耐え兼ねた大日本帝国はシナ大陸に足を踏み入れたのである。 これが侵略だろうか? アメリカと手を組んだ蒋介石は大日本帝国を大東亜戦争へと引きずり込んだのである。 時系列を見ると経過が良く分かる。 |
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これがシナ人、これが隠されていた猟奇的虐殺・通州事件 |
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2016・10・24 DHCシアター 日本人が必ず知る必要がある事件 『やらまいか-真相はこうだ!』#19 通州事件~中国人の残虐性を知れ~ 2017・1・6 DHCシアター 最重要動画 日本人必見! 聞くも悍ましい史実・暴かれるシナ人の猟奇的大虐殺、 堤堯『著者に聞く』#11 ゲスト:加藤康男/『慟哭の通州 昭和十二年夏の虐殺事件』 (2) |
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「放送内容」 生放送・収録:2016年10月6日 #19:通州事件~中国人の残虐性を知れ~ 【筋立て】 1)通州事件 目撃者の証言 2)誰がこの事件を歴史から隠蔽したか? 3)加藤康男氏の現地報告 4)通州事件を「ユネスコの記憶遺産」に 【ゲスト】 藤岡信勝(拓殖大学客員教授・「新しい歴史教科書をつくる会」副会長・「通州事件アーカイブ設立基金」代表) 阿羅健一(近現代史研究家) 【VTRゲスト】 加藤康男(ノンフィクション作家/『慟哭の通州 昭和十二年夏の虐殺事件』著者) http://www.asukashinsha.co.jp/book/b2... 【出演】 堤堯(司会進行/元文藝春秋編集長) 塩見和子(日本音楽財団理事長) 志方俊之(軍事アナリスト) 日下公人(日本財団特別顧問) 福島香織(ジャーナリスト・元産経新聞記者) 馬渕睦夫(元駐ウクライナ大使・元防衛大学校教授) (2) 「放送内容」 収録:2016年11月8日 / 60分 監修・出演:堤堯(ジャーナリスト、元文藝春秋編集長) ゲスト:加藤康男(ノンフィクション作家) 協力:飛鳥新社 【第11回『慟哭の通州 昭和十二年夏の虐殺事件』(飛鳥新社)】 編集者歴47年・元文藝春秋編集長の堤堯が、話題作の著者にじっくりと話を伺うシリーズ番組。 今回は、ノンフィクション作家の加藤康男氏をゲストに、歴史の闇に葬られた日本人虐殺事件「通州事件」を取り上げます。 2017年で事件から80年を迎える「通州事件」。中国人による日本人虐殺事件は何故起きたのか?現地調査を繰り返し、遺族への取材と多くの新資料を集めた加藤氏が執筆の過程で掴んだ事件の真相とは? 『謎解き「張作霖爆殺事件」』で、「著者に聞く」第3回に出演以来、2度目の登場となる加藤氏。 今回も、気心知れた堤氏と熱く熱く語ります。 これを見れば封印されてきた事件とその歴史的背景が分かります! ※皇軍・大日本帝国軍兵士は立派な働きをした事が語られている。 |
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※中華民国と大日本帝国の宣戦布告の時間差、奇妙では無いか? 偶然とは思えないのだが・・・ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2007・3・29 ユーチューブ 「河野洋平よ、腹を切れ!」対談 田久保忠衛氏③(H19.3.28) |
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「コメント」 「サンフラシスコ講和条約」 「アメリカ議会-国際法違反」 《日本》管理売春の制度を利用し営業を認め、軍が衛生管理 《アメリカ》被占領地に女をだせと命じた国 【大道無門122 杏林大学客員教授 田久保忠衛】 |
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今尚、マレーシアで讃えられる大日本帝国 |
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2016・9 大好き日本!【あすか】 日本人がマレーシアを救い、国を創った・・・150年の苦しみを一瞬で解放し、アジアに自信と希望を与えた日本軍がマジで凄かった 大好き日本!【あすか】 |
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「コメント」 ナシ 「投稿紹介」 歴史は残酷なもの。 戦勝国の正義のみ伝えられ、敗戦国が行った正義は闇に葬られる。 戦前までアジアはほとんど西欧諸国の植民地だった。 日本軍は西欧に取っては侵略軍。 しかし、アジアの人達にとっては植民地支配から救ってくれた解放軍。 アジアの人達は知っているのに日本人のほとんどが知らない。悲しいことです。 ※投稿者にお願い、戦勝国・アメリカに正義は無く世界最大の嘘つき国家である事を肝に銘じて欲しい。 |
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2015・8・25 ユーチューブ 重要・必見 【2015年8月25日生放送ノーカット版】馬渕睦夫『外交虎の穴 日本をどう活かすか?~国家戦略としての外交~』 |
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「コメント」 2015年8月25日に収録・ニコニコ動画で生放送配信をした、 馬渕睦夫『外交虎の穴 日本をどう活かすか?~国家戦略としての外交~』 ノーカット版を公開致します。 テーマは「安倍総理の七十年談話に思う」 ※大日本帝国がアメリカ戦に突き進んだ理由が22分30秒過ぎに語られている。(大日本帝国は蒋介石との講和を望んでいたが、断念せざるを得なかった理由が語られている) |
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戦艦武蔵発見! |
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2017・1・31 ユーチューブ 日本に世界が感動!海底から発見された日本の技術に外国人 大興奮!『日本ってすごいな…』【海外が感動する日本の力】 |
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「コメント」 ナシ 「投稿紹介」 それでもいつか科学が進んで深海作業を可能とする技術が生まれた暁には、政府主導で引き上げて欲しい。 ※思いはそれぞれあるだろうが、そっとしてさしあげていて欲しい。 戦艦大和も発見されているが・・・ 魂は靖国神社に皆さん一緒にお戻りになられておいでである。 |
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大東亜戦争・アメリカ戦 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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※ソ連は不可侵条約を一方的に破棄、戦後の戦争犯罪に対し日本人は信用できないと言う人達が多い理由である。 戦闘に関するニュースは大東亜戦争・戦線時系列をご覧あれ! |
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米英が仕掛けたヤルタ密約 |
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2017・2・23 産経ニュース (1/2ページ) ロンドン=岡部伸 【ヤルタ密約72年】 ソ連起草の原本発見 英国立公文書館 千島割譲を「引き渡し」と表記 日本固有の領土と認識 ソ連スパイ、米報告を除外か 病身のルーズベルト大統領を欺いた疑いも (2) 米英の弱みつけ込んだソ連 “お墨付き”得て北方四島を占拠 (3) |
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「記事抜粋」 大戦末期の1945年2月に米英ソ首脳がクリミア半島ヤルタで、ソ連の対日参戦と引き換えに日本領土だった南樺太、千島列島をソ連に割譲するなどの密約を交わしたヤルタ会談をめぐり、ソ連側が作成した合意文書の草案原本が22日までに英国立公文書館で見つかった。 日露戦争で帝政ロシアが失った南樺太は「返還される」と表記する一方、千島列島は「引き渡される」と起草段階から区別していたことが判明。 ソ連側が同列島を日本固有の領土と認識していた証左で、カイロ宣言(1943年)の領土不拡大の原則に違反するとの議論を想定していたためとみられる。 ロシアが北方領土領有の最有力根拠とするヤルタ密約が交わされて2月で72年が経過したが、連合国内の批判を封じながら千島列島の強奪を狙ったソ連側の謀略が浮き彫りとなった。 草案の原本は英語で、文頭に「2月10日 モロトフ(外相)から国務長官に手渡される」とのメモ書きがある。 スターリン首相らソ連側が起草し、ハリマン駐ソ米国大使を通じて、ステティニアス米国務長官に渡され、米英側に提示された。ソ連がドイツ敗戦後2~3カ月で対日参戦すると定め、条件として、 (1)外蒙古(現モンゴル)の現状維持 (2)南樺太の「返還」など日露戦争で失った領土と権利の回復 (3)千島列島の「引き渡し」-を盛り込んだ。 対日参戦の条件としてスターリン首相は、43年のテヘラン会談から、帝政ロシアが、日露戦争を終結させた05年のポーツマス条約で失った領土と権益の回復をあげ、ヤルタではルーズベルト米大統領に対し、南樺太と千島列島を抱き合わせて旧ロシア領として割譲を求め、同意を得ていた。 ただし、千島列島は、1855年の日露通好条約でまず択捉(えとろふ)・ウルップ島間に国境が引かれ、75年の樺太千島交換条約で千島北東端のシュムシュ島までが日本領となった。 このため日露戦争で失った南樺太とは一線を画す必要があったとみられる。 草案は中国の権益に関する個所に修正が行われた以外は踏襲され、3首脳は2月11日、最終合意書に署名。 ソ連は約半年後の45年8月、これを根拠に千島列島に侵攻、占拠した。 カリフォルニア大学サンタバーバラ校の長谷川毅教授(日露関係史)は「草案にはスターリン首相の深謀の跡がうかがえる」と話す。 ※大日本帝国は日露戦争に大勝利、そして世界の檜舞台に駆け上った。 明治維新からたったの約40年後である。 アメリカは大日本帝国に対し脅威を抱き始め、間髪を入れず干渉、それがポーツマス条約である。 アメリカはポーツマス条約て大日本帝国に煮え湯を飲ませたのである。 米英露の関係はポーツマス条約やロシア革命を考えれば、ソ連が大東亜戦争(人種差別)に参戦(ヤルタ密約・意趣返し)する事は至極当然であろう。 (2)(3)記事をご覧あれ! |
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